――言葉、を。
 あの日の言葉を、声を、覚えている。

 いつものことだった。かつて静けさを湛えていた場所へ足を向けるのは。今では死に覆われた暗い風景が広がるばかりだが、彼は戦が終わると何時もそれを眺めに行く。そして、その落差に愕然とする。
 これが、自分の罪なのだと。
 じっと死臭の立ち込める戦場だった場所に立って、夜が明けるまで観察する。忘れないために。自分たちが奪ってきたものを、忘れないために。
「こんなとこで何してるんだ?」
 振り向けば、酒瓶を手にした同僚が立っていた。彼はにこりともせずにこう返した。
「お前こそ、こんな所に何をしに来た」
「あんたの姿が見当たんねぇからよ、探しに来てやったんだっつの。ったく、主役が宴抜け出して何やってんだよ。殿がすっげぇ悲しそうな顔してたぜ」
 ぺらぺらとそう答える同僚に、やはり彼は表情を変えずにそうか、とだけ言った。
「それだけかよ」
「いけないか?」
 彼はまた、戦場へ目を向けた。屍体は葬送のために片付けられている。一兵卒の亡骸も、敵兵の亡骸も、皆等しく。それでも戦火の痕は生々しく残っており、死の臭いはしばしこの場所を離れることはないだろう。
「あーあー辛気くせぇなぁ」
 同僚は大げさに肩をすくめてみせる。彼はそれを視界から綺麗に排除しているようで、何も言わなかった。
「あんたがそうやって感傷にふけろうが何しようが、死んだ奴が生き返るわけじゃねぇだろうがよ」
「別に黄泉帰りなど期待せん」
「そういうこと言ってるんじゃねぇよ! もっかい訊くぞ、あんたはこんなとこで何してるんだ?」
「見ている」
「だから、そうじゃないだろ・・・・・・」
 同僚は大げさに肩を落としてみせた。彼は仕方なく言を継いでやる。
「私が戦火に焼いた場所を忘れるわけにはいかない」
 戦で奪った分、壊した分をいつか償わねばならない。覚えられるだけ覚えておかねばならない。自分の、所業を。
「あのな、うちの最強軍師様に説教するのは非常に柄じゃねぇが、これだけ言っとく。記憶になった時点でそいつはニセモンだぜ」
 胸を張ってその男は言った。
「いくらあんたが必死になった覚えたって、無駄なんだよ」
「・・・貴様」
「そんな無駄な努力する前に、とっとと大陸統一させて戦なんかなくしちまえ。あんたのおつむなら出来るはずだぜ」
「・・・お前」
「俺みたいな体力馬鹿はいくらでもいるんだ。けどあんたみたいな軍師は滅多にいないぜ。心配しなくたって、皆あんたが出した策どおりに動いてやれるんだ。それで早く戦をなくしちまえ。そうすりゃ一件落着だろうが」
 鋭い眼光で真っ直ぐに射抜かれる。彼は虚を突かれたような表情で、ただその視線を受け止めていた。すると同僚はにわかに笑ってみせる。
「ほんッと、柄でもねー説教だぜ。でもいっか、あんたのそういう顔、滅多に見られねぇ」
「李嘉」
「ん〜?」
「・・・・・・今この状況で、お前はそれを成し遂げられると思っているのか」
 眉をひそめ、彼は問うた。
 この大陸を掌中に収めんと蠢動している国は、自分たちの国を合わせても両手の指に余るのだ。それをひとつに纏め上げることなど出来はしない。それこそ夢物語のような話だ。
「ああ」
 しかし李嘉は、当然のように頷いて見せた。
「この大陸に一体いくつの勢力があると思って」
「あんたならできるさ」
 李嘉はもう一度頷いてみせる。彼はうろたえた。何故そんなにも確信を持った言葉を、李嘉は紡ぐのだろう。
「あんたの神がかり的なおつむだったら、何とかなると俺は思ってるぜ。まあ、大陸丸ごと一個まとめるんじゃあ、何十年もかかると思うけどな」
「・・・・・・」
 李嘉は唇の端を吊り上げた。彼の手を取り、歩き出す。
「お、おい」
「殿が泣いちまうといけねぇから、宴に戻ろうぜ。さっきだって親探す子犬みてぇに『旺明はどこだ』ってそわそわしてたんだっつの。早く行ってやんねぇと、夏飛がかわいそーだ」
 夏飛の顔が目に浮かぶぜ、と李嘉は続けた。
 旺明は黙って李嘉に手を引かれて歩いた。先ほどの李嘉の言葉を、ただ噛みしめて。
(・・・大陸を、統べる)
 今までこの国は、守るためだけに戦を重ねてきた。豊かな自然を抱くこの国は、他国から見ても魅力的だったのだろう。自然に戦を仕掛けられることも増えた。防衛ばかりとはいえ、他国に奪われないために軍事力も増強せざるを得なかった。
(・・・これから他国を呑み込んでゆくならば、戦力も・・・・・・これ以上に増える)
 危険も増える。しかし、今のままでは戦は永遠に終わらない。
「・・・李嘉」
「何だい、軍師様?」
「その呼び方はやめろ。先ほどの言葉、本気だな?」
「――酔狂でそんなこと言うとでも思ったわけ? 俺は本気で正気だっつの」
 旺明は力強く笑った。李嘉は気圧されたように息を飲んだ。
「この大陸から戦を排除する。その時まで、私はこの国の鬼となろう。そう決めた」
 一瞬、李嘉はぽかんとした顔で旺明を見つめた。しかし次いでその顔に浮かんだのは、心底楽しそうな表情であった。
「あんたは鬼になんかならねぇよ! あんたはこの国の守護神になれるんだからな!」
「柄ではない」
「だってあんた、鬼にしちゃあ気が優しすぎなんだよ。鬼は宋翁に譲っとけって」
「お前・・・宋林殿に失礼だろう」
 軽口を叩きあいながら、宴の喧騒が近づいてくるのを感じていた。そういえば、と李嘉は思い出したように旺明に尋ねてくる。
「何で俺なんかに国獲り宣言なんかしてんのさ」
「お前が焚きつけた。当然だろう」
 責任は取れ、と続けると、李嘉は案の定噛み付いてきた。
「何だよ責任って!」
「お前が焚きつけたからには、この大陸を纏め上げるまでは死なせん。見届けてから死ね」
「ったり前だろ! 俺はあんたより若いんだ、あんたこそ統一する前にくたばんなよ!」
 ひどく嬉しそうに、李嘉は笑った。

「何年前の話だよそれ・・・」
「三年と八ヶ月前だが」
 涼しそうな顔で茶をすすった旺明に、李嘉はもごもごと口の中で何か呟いた。ふと思い出したようにあの時の話を聞かされて、李嘉は逃げ出したい気持ちでいっぱいである。
「青臭ぇ〜」
「そうだな」
 旺明は愉しげに笑う。あの頃よりも、旺明はよく笑うようになった。ひどく意地の悪い笑い方だったが、無表情だったあの頃より数段マシだと李嘉は思う。
 三年ちょっとで、自分たちは随分と変わった気がする。
 旺明は相変わらずの明晰ぶりだったが、随分と性格の悪さが露呈されてきたように思う。それに、前よりも随分と痩せた。元々は均整の取れた体型だったようだが、病的に細くなった。自分が焚きつけたとはいえ、李嘉は心配である。
 李嘉の方は、あれからまた随分と腕を上げた・・・と自分では思っている。実際戦場でも要に配置される事が多いのだから、旺明も自分の腕を買っているのだろう。重ねた戦の分、傷跡も増えた。右方に残る傷は二年ほど前のものだが、一向に消える気配はない。別に残っていても構わないけれど。
「だが、あれがなければ今の我々もない」
「・・・そーだよなー」
 李嘉は窓の外に目を向けた。空は不安定な紫色に光っている。
「あの殿が承諾してくれたのも大きいが、きっかけはお前の言葉だからな」
「・・・だから、汚れ役はお前が一手に引き受けてんだろ? 殿の知らないところで」
 旺明は曖昧に笑ったが、李嘉はため息混じりに言を継ぐ。
「俺は知ってるんだぞー? 各国に密偵放ってるんだろ? 埋伏も進行中だろ? 暗殺だってしたよな? ぜーんぶ、お前と宋翁で背負い込む気かよ? しかも割合七対三とか聞いたぜ?」
「殿の心を煩わせるのは、本意ではない」
「だからってなぁ・・・」
 李嘉は不満気に旺明を睨んだ。旺明はどこ吹く風で茶をすすっている。
 不安になる。旺明は、随分と痩せた。その痩せた胸でこの国を抱いて、進んでいく。
「ちったあ、楽しろよ」
「しているだろう、今」
 茶飲みは執務か? と冗談めかして言う旺明に、李嘉は顔をしかめた。
「そうじゃねーだろ」
「案ずるな。お前と話している時間は、相当に気が楽だからな」
「・・・そりゃどうも」
 だが、やはりそうではないのだ。
「ちったあ頼れよ。俺も夏飛も、殿だって・・・他の奴らだってみーんな、あんたの味方だ。讒言だの悪意篭りまくりの流言もだの、ぜーんぶ放っとけ」
 あんたは。
「自分でなんもかんもやろうとするから、意識して人を頼るようにしとけ。俺との約束、覚えてんだろ?」
「・・・無論だ」
「今のまんまじゃ、あんた死ぬぜ」
 約束を破られるのは嫌いだ。それより何より、この男をむざむざ死なせるのは御免だ。この国が大陸を統べようが逆に滅ぼされようが、この男を死なせてなるものか。
「いきなり他人に寄っかかんのが無理だったら、この李嘉様に頼りなさい」
 ふん、と鼻息荒く言ってみると、旺明はさも可笑しそうな笑みを浮かべた。
「私は重いぞ?」
「へっ、吹けば飛びそうなのがよく言うぜ」
「フン、どうだかな」
 しかし旺明がどことなく嬉しそうに見えて、李嘉は声を出して笑った。
 いつの間にやら空は完全に夜に染まっていたが、二人は灯りもつけずに軽口を叩き合っていた。そうしてまた、二人の気づかぬうちに夜は更けて、月も暮れていくのだろう。



 エセ中華風味文。
 突拍子もなく書き始めたのが、何となく形になったようなならなかったような。殺伐とした風景を記憶する男、を描きたくなったのですが。
 見事に李嘉の手でひっくり返されました。
 いやー、大胆ねぇ李嘉クン。朱音もこんなこと言わせる気はなかったのよ。ただ、あくまで中華「風」だから。「中原を統べる!」だと違う気がして・・・・・・。無駄にスケールでっかい話になってしまった。
 しかも終わらせ方が強引だ・・・。延々続きそうだったのよ・・・。
 名前とかも書きながらそれっぽいのをつけるという悪癖があります。それが定着しちゃえばこっちのもんだ、という考えなしな。考えてつけることもありますが、たいていは語感とかで決めてしまいがちです。おかげで似たような名前のがわんさか・・・。
 朱音はさほど頭良くないので、計略とか戦略とかを書くのが苦手です。むしろ書けないと思う。続きやら何やら書きたい気もするけど、勉強しなきゃどうにも無理です。だって、頭いい軍師さんとか大好きなので。カッコよく書きたいじゃないですか・・・。
 あとで殿とか夏飛さんとかの話も書きたいと思ってみたり。でも、エセ中華風・・・どうなることやら。

2005/09/17