すこしだけ、さよなら


すこしだけ、さよなら

一人、二人、三人。
次々と目の前に立ちはだかる者を、文字通りなぎ倒して突き進んでいく。
先頭を進む蒼と栄が進路を作っていき、その後を紅、碧、白銀と続く。
 「後ろからも来ているようです、いかがいたしますか」
白銀が前に向かって問う。
 「後ろは構うな、走れ!」
蒼が振り向かず答える。
 「しかし私たち、今まで逃げてきたかのような鮮やかな逃げっぷりですね」
紅が嘆くように言う。
 「いいじゃない。僕たち何でもできるってことで、ね、栄」
碧が多少余裕を取り戻してそう言うと、栄がそれに答えた。
 「おう!!・・・って、それには俺も入ってていいワケ?」
そのまま走っていると、やがて廊下が赤く染まってきた。
 「くそ、もうこんな所まで火がきてやがるのか・・・!」
階段の前で蒼が立ち止まると、皆立ち止まった。
しかし一人、衣を翻し、後ろに一歩進んだ者がいた。
 「・・・・・・白銀さん?どうしたの?」
碧が心細そうな顔をして白銀を見た。白銀の様子は、後ろ姿からは何も読み取ることが出来なかった。
 「・・・私はここで追っ手をくいとめます。皆さんはお逃げください」
淡々として、いつもと変わらない調子の落ち着いた声が、その場の静寂を包み込んだ。
 「・・・何でだよ!!みんなで、一緒に行くって言ったじゃんか!」
たまらず栄が声を荒げる。しかしそれでも白銀は動かない。
 「・・・・・すまないな、白銀」
ぽつりと蒼が言った。
 「いえ、お気になさらず」
白銀の口調は、いつもと変わらない。
蒼が駆け出すと、それに紅も続いた。
 「・・・蒼!!紅っ!!いいのかよ!!」
栄がその後を追いかけていった。
しかし白銀のほかに一人、その場を動かない者がいた。
 「・・・お逃げください」
 「・・・・・・・・・やだ」
碧は白銀の背中を見つめたまま動かない。
それに折れて白銀が振り向き、碧の目線に合わせて屈みこんだ。
 「私も後から行きますから、先に行って待っていてください」
 「・・・だって、『ずっと一緒にいるの?』って聞いたら、『いる』って、言ったじゃない。本当に来れるかもわかんないんでしょ?」
碧はいつの間にリュックから取り出したのか、熊のぬいぐるみを抱えてうつむいていた。
 「・・・・・・それでは、こうしましょう。これを持って行ってください。私が受け取るまで、預かっていてほしいのです」
そう言って白銀は編んだ銀の髪を縛っている赤いリボンを解くと、碧が抱えている熊のぬいぐるみの首にそっと結んだ。
元々緩く編まれていた髪は、動いたせいもあってさらに緩まり、リボンを解くとほどけてさらりと肩や背中に流れた。
 「うん・・・絶対取りにきてね。約束だからね」
 「はい、ほんの少しの間だけ、さよならです」
微かに白銀が頷いたのを確認すると、碧は笑った。白銀もいつしか微笑んで言葉を続けた。
 「・・・あなたのお母様はあなたを本当に愛していらっしゃいましたよ。早く生まれないか、いつ生まれるかと、毎日毎日、おっしゃっていました」
 「うん・・・」
 「父親も、また同じです。決して、あなたが嫌いなわけではなかった。碧、という名も父親が名づけたのです。碧という色のように、深く優しい心を持つようにと」
優しく微笑んで語る白銀の声を遮るように、碧が言う。
 「白銀さん、なんでおとうさんのこと・・・」
 「・・・・・・・・・」
その問いに答えず白銀は立ち上がり、だんだん近くなってきた足音と喧騒に向き直った。
 「ずっと胸に秘めてきた七年間、どんなに辛かったか・・・近くであなたの成長を見る度、私は・・・」
押し込めてきた感情を解放するように、白銀の言葉に切なさがにじんだ。
 「・・・・・・!!・・・じゃあ・・・僕の本当の・・・」
 「・・・碧・・・、元気で。私はあなたを守ることができれば・・・、幸せですよ」
その時、碧の不在に気付いた蒼が戻ってきた。
 「碧!!何やってる、さっさと来い!」
それと同時に、白銀が走り出した。銀色の髪が、炎に赤く照らされていた。
 「ちょっと、待って・・・兄さんっ!!待ってってば!まだ、ちゃんと話さなくちゃいけないことがあるのに!」
手を引く蒼に引きずられるようにして遠ざかる碧の声を、白銀はただ静かに聞いていた。その声の中にひとつだけ混ざっていた言葉は、
透き通るようにはっきりと聞き取れた。
 「・・・・・・碧・・・」
もしかしたら聞き間違いかも知れないと思いもしたが、それでも、幻想に甘えるのもいいと白銀は思った。
おとうさん、と聞こえた。



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