からやたその3


一本の楓の下。
規則正しく、速い足音が近づいてくる。
下駄がからころと音を立てて。
目を閉じたまま、唐紅はその音が近づいてくるのを感じ静かに聞き入っていた。
後、もう少し。
「唐紅ーっ!!」
元気な声と共に、衝撃。
「・・・・・・っ八魂・・・腹の上に飛び乗るのはやめなさい」
「お、ごめんなっ」
目を開けば、すぐ目の前に太陽のような笑顔。

「・・・・・・・・・」
「どうした?・・・そんなに痛かったか?ごめんな」
八魂の顔を見つめたまま動かない唐紅に、八魂がぴたぴたと頬に触れながら言う。
「いや・・・・・・大したことは無い。ただ・・・」
ふうっと息を吐く。
「・・・我は眠いのだが」
うとうととまどろんでいたところに飛び乗られたのでその一瞬は目が覚めたのだが。
やはりいつも暇さえあれば寝ている唐紅にとって朝とは活動する時間では無いらしい。
「駄目っ!起きろよ唐紅ー!!そんなに寝てると溶けちゃうぞ!!」
「・・・溶けたとて構わぬ・・・。そもそも、我は溶けぬ」
八魂のよくわからない文句に真面目な顔で返して、唐紅は目を閉じた。
「あー!!駄目っ駄目だってばー!!おーい!!唐紅ーっ!!」
なおもぎゃんぎゃんと騒ぐ八魂に、いかにも面倒くさそうに唐紅は薄らと目を開ける。
「・・・・・・何だと言うのだ、今日は・・・どうした」
「ん、特に何も無いけど!オイラ唐紅と話したいもん!」
にかっと笑って言われ、唐紅はため息をついた。
「・・・・・・我と話したところで何も無い」
その言葉に、八魂がふっと表情を曇らせた。
「・・・唐紅はオイラと話すの、嫌いなのか?」
唐紅が何も言葉を発さないのを見ると一瞬泣きそうに顔を歪めて、
「唐紅は・・・オイラが嫌いなんだっ・・・!!」
駆け出した八魂は、風のように遠ざかり見えなくなった。
「・・・・・・八魂・・・」
後に残された唐紅は立ち上がり、八魂が走り去った森を思いの読めない瞳でじっと見つめた。

「う〜・・・やっぱり、オイラだけだったんだ・・・っ」
届けた想いは、確かに受け取ってもらえたと思ったのに。
いつの間に手放されてしまったのだろう。
鎮守の森の、一番端。
そこに大きな木の洞がある。その中に八魂は膝を抱えて隠れていた。
涙が溢れて止まらないのを幾度乱暴に拭っても、一向に止まる気配が無いので諦めた八魂はそのまま膝に顔をつける。
温かく濡れた感触は自分の涙そのもので、ますます止まらない。
そのままの格好で暫くじっとしていても、木々のざわめきしか聞こえない。
さわさわと耳に心地よいそれに聞き入っていた八魂の耳に、葉の擦れ合う音とは違う音が入ってきた。
「・・・足音・・・?」
聞き覚えの無い足音に、八魂は洞の端に身を隠し様子を窺う。
がさがさと落ち葉を散らして走ってきた足音。
「・・・・・・八魂っ・・・!!」
「え・・・」
苦しげに眉を寄せるその姿は、よく知る楓。
しかし、こんな姿は見たことが無かった。
走る風にひらりと舞う袖も、自分を呼び探す声も、すべて知らなかったもので。
いつも風に揺らめいている優雅な長い髪も、もつれ緩く肩口に掛かっている。
「まさか、そんな・・・だって」
唐紅の楓は鎮守の森の中、しかし神社の近くにある。
こんなに奥まで、まさか走ってきたのかと八魂は大きな目を零れ落ちそうなくらい見開いた。
唐紅は、木の洞に気付かない。
辺りを見回し、姿が無いのを見ると背を向けまた走り出そうとする。
「・・・・・・・・・っ、唐紅っ!!」
行ってしまう、そう思ったら勝手に体が動き、気付けば洞を飛び出し唐紅の背中に飛びついていた。
「・・・・・・・・・!!」
その衝撃でかくんと膝が折れ唐紅は地面に倒された形になる。
「・・・・・・また、やっちゃった・・・?」
「・・・八魂、居たのは良かった・・・が、避けなさい・・・」
「うう〜・・・ごめんな、ごめんな・・・」
本日二度目の失敗に八魂は本当に申し訳なさそうに謝りながら唐紅の上から避ける。
「いや・・・良い・・・。全ては我が招いた事・・・・・・すまなかったな、八魂」
半身を起こし前髪をかき上げる唐紅が、八魂を見据えて言う。
「でも・・・オイラ、嫌いになっちゃったんだろ?」
俯く八魂の顎を不意に捕まえ上向かせると、唐紅は八魂の目を見つめて言った。
「我が、確かにそう言ったか。・・・お前など好かぬと」
「言・・・って、ない」
きょとんとして耳をぴこぴこと動かす八魂に、唐紅は微かに微笑む。
「・・・・・・お前が思ってもみない事を言う故、呆気に取られた。それだけの事だ」
言うと唐紅は手を離し、立ち上がる。くるりと後ろを向いて歩き出そうとする唐紅に、慌てて八魂が立ち上がり続く。
「あ、ちょっと、待てよっ・・・それって」
「・・・言わねば通じぬか。それとも、我に言って欲しいのか」
どちらだ、と尋ねられ、八魂は笑顔で言った。
「言って欲しい!」
その答えに唐紅は喉で笑い、狐色の耳に唇を寄せた。






からさんは、体力が、ない。(うわー)