事の始まり


「おにいちゃん、今日もお願いねー!」
「わかってるよ!じゃあ僕もう行くけど、大人しく寝てるんだぞ!」
幼い女の子特有の高くて可愛らしい声に急きたてられるように、病院の病室から転がり出てきた少年。
その小柄な少年はエレベーターを降り、さらに病院の白い廊下をぱたぱたと走ってゆく。
「川崎くん、廊下走っちゃだめでしょう!」
「わ、すみません太田さんっ!!でも急いでるんですー!」
太田と呼ばれた看護士に注意されても、少し速度を落とした後はまた全速力で駆けて行く後ろ姿。
川崎小太郎、14歳。地元の中学校に通うごくごく普通の男子中学生である。

「・・・太田さん、あの子知ってるんですか?」
別の看護士がやってきて太田に話しかける。
「うん、妹さんのお見舞いに来る子なんだよ。妹さん、体が弱くって、何かと病気になって入院しちゃうんだ。
だから、代わりに『お願い』に行ってるんだよ。確か、今日が最終日だったかな?」
「ああ、それではりきってるんですね。例の神社の言い伝え、ですか」
人ごみをすり抜けて病院から飛び出していく小太郎を見て、二人は顔を見合わせにっこりと笑った。

小太郎の住むこの町には古い神社がある。
古い神社という事は、それなりに伝承もいくつか伝わっているようなのだ。
その中のひとつに、こんなものがある。
「福兎神社に半年間、毎日『お願い』に行くと福兎様がお願いを聞いてくれる」
ここでポイントになるのは、『お願い』だ。なぜか『お参り』ではなくて、『お願い』なのには理由がある。
福兎神社のお社の前で、かしわ手を2回打って、こう唱えるからだ。
「福兎様、福兎様、どうか私のお願いをきいてください・・・」

「よっ、小太郎!!お前、まーだアレ、続けてんのか?」
ばしっ、と朝の挨拶代わりに小太郎の背中を叩く者が一人。
小太郎は恨めしそうにその人物を振り返った。
「・・・・・・ひぃーろぉーっ!!痛いじゃないか!!何するんだよ、毎朝毎朝!!」
「毎朝やられてると思うなら気をつければいい話だろ?」
ひろ、と呼ばれた少年は悪びれずにけらけらと笑った。
ひろこと紺野広はきちっと制服を着込んでいる小太郎とは対照的に、
制服を着崩して背も小太郎より頭一つ高い小太郎の良き友人であり理解者である。
「まったくもう。・・・続けてるよ、今日で最後だけどね。今日で、ちょうど半年。僕もよくやったよ」
「お、最後か!!どうだ、『お願い』叶いそうか?なんせ、あの神社に半年間通いつめた奴なんて、
今まで聞いたこともねえからなー」
気まぐれ起こして、聞いてくれるかも知れねえぜ。そう言って、またけらけらと笑った。
「でも、僕の分じゃないからね。ずるはダメです、って聞いてくれないかもね」
茶化した広の言葉に冗談交じりに返して、二人で笑う。
「あ、朝のHRが始まるみたいだ」
教師の到着とともに段々静かになっていく教室で、二人は視線を合わせ、また笑った。

退屈な授業ばかりの一日が終わり、帰り道、小太郎と広は並んで歩いていた。
「なあ、由布ちゃん、今度はなんで入院してるんだ?」
「今度は肺炎だって。軽いみたいだけど、由布も毎回よく何かにかかるよね。その前は確か・・・インフルエンザ?」
道すがら話す話題は小太郎の妹の由布について。
「あー、アレはなあ・・・急に倒れて、大騒ぎだったよな。お前ん家」
「ホントにね。ひろが咳してたから、うつしたんじゃないかってひろまで巻き込んで大騒ぎだったね」
「いやーあの時は、もらったメロンうまかったぜ」
結局タダの風邪だった、と笑う。そうこうしているうちに、長い石段の前に着いた。
「あ、じゃあ僕、寄って行くね」
「おう、兎さんによろしくー」
ついて行く気はさらさらないらしい広が行ってしまってから、小太郎は長い石段を見上げた。
「よし・・・行くぞっ」
気合一発。学生鞄を持ち直して、小太郎は石段を駆け上がった。