また、朝がやって来た。
 ここに来てから四度目の朝だ。カーテンの掛けられていない窓からは、白くまばゆい光が入り込んでいる。眩しい。よく眠れない所為か、目の奥が鈍く痛む。
 ああ、また一日が始まってしまった。
 すっかりしわだらけになってしまった制服を見下ろし、ため息をつく。五日前の朝、クローゼットの中でしわひとつなく綺麗だった、真新しい制服。たった四日で見る影もなくくたびれてしまった。
 わたしは、これからどうなってしまうんだろう。



〜NightMare Crisis〜
00



 読みかけの文庫本をぱたん、と閉じる。
 じわじわと体力を奪うような暑さ。集中力がなくなってしまうのも仕方がない。窓の外は快晴だった。抜けるように鮮やかな青が目に痛い。
 いつもにぎやかな友人は、学校を休んでいた。部活中に怪我をして、大事を取るように言われたのをメールで愚痴ってきた。休めるときは休んでおけばいいのだと宥めておいたが、それが彼女のもっとも苦手とするところだとわかっている。家で暴れているかもしれない。
 珍しく静かに読書ができる昼休みだというのに、ちっとも読み進められていない。悔しいのだが集中できない。暑いものは暑いのだ。気づけば中間テストも終わり、夏がやって来ていた。
 あの子はどうしているだろう。
 甲野紗夜夏が失踪してから、もう二ヶ月が経ってしまった。
 中学時代から付き合いのある後輩だった。入学式の直後に姿を消し、以来彼女の姿を見た者はいない。
 憂鬱がやって来る。きっとこの暑さがいけないのだ。何をする気にもなれないから余計なことを考えてしまう。
(本当に、どこへ行ったんだろう)
 無事を願うだけの自分が、好きになれずにいる。
「阿八女! いる!?」
 スパーン! と勢いよく教室のドアが開け放たれた。飛び込んできたのは良く知った顔だった。勢いでずれた緑色のフレームの眼鏡を指先でついと押し上げている。
「・・・あ、鮎川」
「能天気の神川が休んだってマジなの!?」
「ああ、休んでるけど・・・」
「ちゃんすだわ」
 どこか不穏な笑みを浮かべているのは鮎川光だ。今日は欠席している神川梢と並んで騒々しいことで有名である。このふたりの間に立たされていると時々旅に出たくなる。
 ものすごく、うるさい。それがステレオでボリューム全開なのだ。こちらの身にもなって欲しい。
 幸い今日は光ひとりだけで済んでいるし、物思いに耽らずにも済むのでありがたかった。
「阿八女、ちょっとこれから付き合ってくれるわよね」
 ぐい、と腕を引かれてつんのめる。
「付き合えって・・・もうすぐ予鈴」
「ほらカバン持って! 早く早くっ!」
「もう・・・何なのさ」
 こうなった光を止められる奴がいたら教えて欲しいものだ。そう思いながら仕方なく立ち上がる。わざわざ授業をサボらせる程の用件とは何なのだろう。光に急かされるままに廊下を駆けた。この方向から行くと、目的地はきっと屋上だ。案の定、光は階段を上がり始めた。
「屋上だな」
「そうよ」
 確認してみると、光はそう答えた。屋上までもう少し。
 光が屋上へのドアを開け放った。予鈴が鳴り始める。当然のことだが、屋上はがらんとしていた。光に続き屋上に出て、ドアを閉める。
 抜けるように鮮やかな青が、目に痛い。風が吹き抜けていくのが心地良かった。
「お待たせ。藤川、苑田」
「!」
 建物の陰から出てきたのは、藤川橘と苑田沙だった。ふたりとも自分と同じ弓道部の仲間で、よくつるんでいる。
「神川は休みだし、これで全員ね〜」
 コンクリートに直接腰を下ろすのが嫌なようで、光はピクニックシートを広げていた。
「玲莉、お前驚きすぎ」
「っても、私は何も聞かされてないんだ。仕方ないじゃん」
「鮎川・・・」
 橘が苦笑した。光は何食わぬ顔をしてピクニックシートの上に正座している。
「はいはい皆、座って座って」
「あいよ」
 沙が靴を脱ぎ散らかす。橘も腰を下ろした。
「おい沙・・・靴くらいちゃんと揃えろよ・・・」
 沙の靴をきちんと揃えてやりながら文句を言ったが、沙はカラカラと笑うばかりだった。本当に、何度言っても直らない。全く困ったものだ。
「さ、て、と。今日集まってもらったのは他でもない・・・」
 光は勿体つけるように言葉を切った。一同の顔を見回してから、口を開く。
「甲野紗夜夏のことよ」
 顔がこわばるのが自分でもわかった。沙も珍しく表情が固くなる。橘は平静を保っていた。
 光はにやりと笑った。
「神川がいなくて丁度いいって言った意味、これでわかった?」
「うん」
 梢の前で紗夜夏の話題はタブーだった。最後に彼女の姿を見たのは梢なのだ。梢が悪い訳でもないのに、彼女は紗夜夏の話を聞く度にひどく悲しそうな顔をする。
「一応あたしなりに甲野の事件のこと、調べてたワケよ。一区切りついたから教えとこうと思ってさ」
 まずはおさらいからね、と光は薄く笑った。
「確か神川の話じゃ、最後に甲野の姿を見たのは四月七日の夕方。体育館の入り口辺り。あいつの思い違いでなければね」
「甲野とは長いつきあいらしいからな、あいつは。それはないだろう」
 橘が口を挟んだ。そうね、と光が頷く。
「家族から捜索願が出されたのがその日の夜。学校から甲野の家までは寄り道できるような場所もないし、人通りが少ないワケでもないじゃない。それで警察が動いてるんだけど・・・甲野が神川に会った後、自分の足で外に出た形跡はない。あれから二ヶ月経っちゃったけど、甲野はまだ見つかってない」
 確か校内で神隠しに遭ったのではないかという噂も一時期流れていた。そんなことがあってたまるものか。
「これが今までのおさらい。特に続報もないし、警察の方は進展してないと見るべきかも」
「そうだな」
 橘が相槌を打つ。あれから二ヶ月、ニュースでも新聞でも紗夜夏の失踪について報じられることはなかった。
「で、本題は? 今までの全部おさらいだろ?」
「そう。これだけならあんたたちでも知ってるじゃない」
 沙が尋ねると、光はにやりと笑った。
「まさか警察も知らない情報をお前が持ってる・・・とか言わないだろうな」
「藤川鋭い!」
「なに?」
 目を丸くした光に、橘が怪訝な顔をする。沙が身を乗り出した。
「マジか光! お前何者!?」
「鮎川の情報網を甘く見てた・・・」
「ちょ、ちょっとちょっと! そんな期待しないでよ! ハードル上がっちゃうじゃない!」
 光が慌てた。
「藤川が言ったことは半分ハズレ。あたしが掴んだのは『警察が関連づけてない』情報よ」
「どういうことだよ」
「いろいろ調べてたらさ、甲野の失踪事件と状況が似てる事件を見つけたのよ」
 光が鞄の中から紙の束を取り出した。右上がステープラーで留められている。
「隣町らしいんだけど、いなくなった時間帯が甲野の事件と同じくらいなのよ」
 同一犯の可能性が薄いせいか、状況は酷似しているものの関連づけた捜査はされていないらしい。
「その隣町の失踪者がね、最後の目撃者にこう言い残してるらしいんだ」


「僕は悪夢を壊しに行くんだ」


× 

2007/09/20