調子が狂う。正直なところ、流二はそう思った。
 早の姉、梢が姿を消して以来、早は落ち込んでいた。以前ほど笑わなくなった。流二もそれは仕方のないことだと思っている。が、問題は早ではなく実の方だった。
 うまく言えないのだが、何となく・・・挙動が怪しい。そこはかとなく、怪しい。というか、おかしい。
 実はいつも活動的でやかましいほどなのだが、あれ以来何かを警戒するように辺りを気にするそぶりが見られるようになった。普通に会話している途中に突然後ろを振り向いたり、突然どこかへ走り去ったりと、奇行も目立つ。
 妙な病原菌にでもやられてしまったのだろうか。冬虫夏草とか。実の背中が割れて得体の知れない何かが出てくる想像をしてしまい、流二は思わずぶるぶると首を横に振った。
「おいリュウ〜。オレの話聞いてんのかよぉ」



〜NightMare Crisis〜
08



 冬虫夏草に寄生されているかもしれない友人は、不服そうに鼻を鳴らした。流二は自分の下らない想像を振り払うようにもう一度頭を振ってから、口を開いた。
「ちゃんと聞いてる」
「ホントかよ?」
 気色ばんだように実は流二を見つめてくる。流二はため息をついた。実をなだめにかかる。
「本当だって。それより何なんだ、用事ってのは。わざわざうちに押しかけてきて」
「押しかけた覚えはないっ!」
「・・・・・・」
 実はベッドに腰掛けたままふんぞり返った。威張って言うことではないだろうに。
「オレさ、梢さんのことでいろいろ頑張ってみようと思ったんだよ。情報収集は基本だと思ってさ」
「ん」
「頑張って調べようと思ったワケ」
「ん」
「フツーに何も出て来なかったワケ」
「ん」
「オレ・・・自信なくしちゃった」
「ん」
「さっきから『ん』しか言ってねーじゃぁん! リュウの馬鹿ぁー! 慰めてくれたっていいだろぉ!?」
「・・・よしよし、お前は充分よくやった。偉いな、実」
 流二は満面の笑みを浮かべ、優しげな口調でそう言ってやった。実は面白いくらい顔を引きつらせている。少し胸がすいた。
「満足か」
「寿命五年くらい縮んだ」
 とんでもない言いがかりだ。
「俺たちで何とかできるようなことじゃないだろ」
「でもさぁ・・・」
「・・・わかってるよ」
 流二がそう言ってやると、実は困ったように笑った。梢が消えたあの日の玲莉の姿を見て、実は自分が何かしなければという思いに駆られていたのだろう。実の性格を考えてみればわかることだ。
 しかし、実の奇行の理由が解明された訳ではない。これは単なる愚痴でしかないだろう。
「・・・まだ、何かあるんじゃないのか」
 流二がそう言うと、実ははっとしたように流二の顔を凝視した。
「・・・何でわかっちまうかなぁ」
「短い付き合いじゃないからな」
 それにお前はわかりやすいし、と流二は軽口を叩く。しかし実はそれに反応しなかった。珍しいこともあるものだ。実は言い出しづらいのか、ばつの悪そうな顔をして黙り込んでしまっている。
 流二は無理に促すことはせず、実が口を開くのを待つことにした。部屋の中は静まり返り、階下から包丁の音が響いてくる。実はしばらく押し黙っていたが、不意に頬を膨らませてこう言い出した。
「リュウから話振ってくれたっていいだろ!?」
「無理矢理口を割らせるのは好きじゃない」
「だって言い出し辛いじゃんか!」
「・・・」
 流二は軽く頭痛を覚えた。いつもと同じ実だ。そのことに少し安堵し、ほんの少しだけ嬉しく感じたのはきっと気のせいだ。
「仕方ない奴だな・・・。実、さっさと話せよ」
「む・・・ぞんざいな振りだが良しとしよう。あのな」
 そうしなければ話し始めない雰囲気に負け、流二は仕方なく話を振った。実は幾分不満そうだ。本当に仕方のない奴だ。
「笑うなよ」
「笑わねぇよ」
「最近さ、視線を感じるんだ」
 流二は眉をひそめる。それが何だというのだろう。
「人気があればそういうこともあるだろう?」
「それがさぁ、オレがひとりでいる時になんだよ。最近は結構毎日でさ」
 オレの気のせいなのかなあ、と実が不安げに言う。
「気のせいにしては多すぎないか」
 実はマイペースの塊のような性格で、さほど自意識過剰な性格ではない。それに外出時ならともかく、自室にいるときでも視線を感じるのだと実は言う。しかし、梢のことがなければ流二も笑い飛ばしていたかもしれなかった。
「問題は本当にお前を監視している奴がいるかどうかってことだな」
「だよなぁ。オレ、恨みも恋も買った覚えはないし」
「恨みはともかく恋は買えないぞ」
 実はそれを完璧に無視した。
「それに部屋の中も外から見れないはずなんだよな。気味悪いから最近カーテン締め切ってんだよ」
「それでも視線を感じるのか」
「うん。監視される意味がわかんねーし。・・・もしかして単純にオレの自意識過剰?」
「お前の性格から言ってそれはない」
 そもそも実には周囲を気にするほどの余裕などない。そんなに細い神経をしているなら、流二が頭を痛めている理由もないはずなのだ。
「他の奴には相談したのか?」
「んーん、誰にも。早なんか言ったら倒れそうだし」
「・・・そうか」
 言うと付け上るから心配だ、とは口が裂けても言わないが、放っておく訳にもいかない気がした。何か手を打たなければ後悔することになる。そんな予感に流二は襲われていた。しかしどうすべきなのかがわからない。
「気のせいだったらいいんだけどなぁ。まあ、別に気味悪いだけだからいいけど」
「良くないだろ。どう考えても」
「んー・・・でもさぁ。他に誰かいるときは感じねえんだし。家にいるときだけ我慢すりゃいいじゃん?」
「これから夏休みだぞ」
「あう・・・」
 要は実をひとりにしなければいいのだろう。しかし実の両親は共働きだし、しかも兄弟はいない。もうすぐ夏季休業もやって来る。
 コンコン、とドアがノックされた。この叩き方はおそらく玲莉だ。どうぞ、とドアの向こうに声をかける。
「おい流・・・あ、実。来てたんだな」
「お、お邪魔してます」
 実が瞬時に姿勢を正した。肩に力が入り、ガッチガチになっている。不意に玲莉と遭遇したものだから混乱しているのだろう。
「何?」
「そろそろ夕飯にしようと思って。母さん、今日は夜勤だから」
「ああ・・・そういえば、そうだった」
 流二たちの母親は看護士をしている。そういえば今朝、朝食の折に言われたのを思い出す。
「じゃあ、オレ帰りますね」
「え、でもな・・・」
 帰り支度を始めようとする実を見て、玲莉が困ったように頬を掻いた。話の途中で実を帰らせるのも申し訳ないと思っているのだろう。流二とて平素ならば気にせず帰しているところだが、あんな話を聞いた後でそのまま帰らせるのもまずい気がする。
「夕飯の時間はずらせるしなぁ・・・・・・あ、そうだ」
 玲莉がぽん、と手を打った。
「実、食べていかないか?」
「へ?」
 実はぽかんとした顔で玲莉を見つめている。
「実がいるとにぎやかで良さそうだし」
「でも、いいんですか?」
「ちょっと作りすぎて困っていたんだ。丁度いい。まあ・・・口に合うかどうかわからないけど」
「!」
 実の瞳が輝いた。尻尾があったらギュルギュル回っているに違いない。単純な奴だ。完全に浮かれている。
「ぜひっ! ぜひご一緒させてくださいっ!」
「あ、ああ。じゃあ、キリのいいところで下に来てくれ」
 実の勢いに苦笑しながら、玲莉がドアを閉めて出て行った。こいつと一緒だと落ち着いて食事が出来ないような気もしないではないが、まあいいだろう。
 ん?
 一緒に?
「それだ」
「へ?」
「お前、しばらくの間うちに泊まれ」
 流二はびし、と実を指差しながら言った。実は戸惑いながらも口を開く。
「泊まれ・・・って、いつから?」
「今日から」
「はあ!?」
 実が素っ頓狂な声を上げた。何で何で!? と騒ぐ実に、流二はにやりと笑ってこう言った。
「姉貴と一つ屋根の下になる訳なんだが、嫌ならいい」
「!!」
 実の顔が輝いている。この上なくいい顔になっている。玲莉をダシに使うのは非常に本意ではないのだが、他にいい対策が思い浮かばないのだから仕方がない。
 こいつといると『仕方がない』ばかりだな、と何故かデレデレし始めた実を横目で眺めやる。流二は深々とため息をついた。

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2008/07/24