面白くない。
 橘がそんな顔をしている。心の底から不服そうな顔をしている親友の顔に、余裕ないなコイツ、と思わずにいられない。気持ちはわからなくもないが。
 どんどん凶悪になっていく橘に、沙はだらだらと冷や汗をかいていた。



〜NightMare Crisis〜
07



「それで、東の話だと・・・」
 至極不機嫌な橘の様子にも気づかず話しているのは、親友の想い人。阿八女玲莉その人だった。彼女が話しているのは二日前、つまり先週の土曜の出来事らしい。光がコンタクトを取った目撃者の男の話だ。不器用で奥手なこの男は、ろくにアプローチもできないくせにメラメラと嫉妬の炎を燃やしているという訳だ。普段はクールな二枚目で通っているくせに、玲莉が絡むとすぐこれだ。
 沙はこっそりため息をつく。光がいれば状況を察してくれたかもしれないが、彼女はあいにく学校を休んでいた。大方サボって調べ物をしているのだろう。咎める気などさらさらないが、この状況を何とかできる人間がいないのは苦しい。
「それで・・・橘、どうしたんだ? 聞いてるのか?」
「ああ、ちゃんと聞いてる。続けてくれ」
「ならいいんだけど。それで・・・」
 玲莉は不思議そうな顔をしていたが、また話の続きを語り始めた。橘はまた不機嫌を顕わにした表情で玲莉の話に耳を傾けている。
 嫉妬心丸出しの橘も橘だが、全く気づかない玲莉も玲莉だ。いくら何でも鈍すぎる。あれだけ不機嫌な顔をされても気づかないなんて何事だ。
 そもそも橘が嫉妬心丸出しになっているのは他ならぬ玲莉の所為だった。ただ話の流れで出てきただけなら橘もこんなことにはならなかった。玲莉がその男のことを『何だか懐かしい感じがするんだ』などとのたまったのがいけない。ろくにアプローチもできないこの男は、嫉妬心だけは一人前にある。沙は再びため息をついた。誰かコイツらをどうにかしてくれ。
「沙、どうかしたのか?」
「いーや別に。全部そいつの仕業なのかなーとか思ってただけ」
 沙は無難な答えを返した。まさか玲莉の鈍感さに呆れていただなんて言えない。
「それは・・・わからないけど。無関係だなんて考えられないだろ」
「そうだな」
 橘が頷いた。苛つきながらも話はちゃんと聞いていたようだ。これで投げやりな言葉を吐かれたら沙の寿命が縮まるところだった。
「鮎川の奴、それ全部一人で調べる気なのかよ」
「『引き下がってたまるか』っつってた。・・・どうやって調べるつもりなのかはわからないけど・・・」
「普通調べようないじゃんかソレ。オレなら泣いちゃう」
 沙が泣きマネをしながら言うと、ふたり揃って呆れたようにため息をついた。ため息をつきたいのはこっちの方だ。息はぴったりなくせにどうしてこう通じ合えないのだろう。橘を応援する身としてはかなり歯痒い。
 絶妙のタイミングで予鈴が鳴り出した。次は確か移動だ。
「戻ろうか」
 玲莉が弁当の包みを持って立ち上がった。橘も購買の袋を持って立ち上がる。沙はへらりと笑った。
「オレはパス」
「・・・え」
 でも時間、と言いかける玲莉に、ダルいからサボるわ、と答えた。玲莉が眉をひそめる。
「お前、最近サボりすぎだぞ。大体・・・」
「ホラ行った行った! 遅刻すんぞ〜」
「沙、お前な・・・!」
「玲莉」
 橘が玲莉の腕を引いた。沙は橘にウインクしてみせる。橘はすまなそうに笑った。そんな顔をするくらいなら、さっさと告ってくっついてくれ。
 橘が玲莉に行くぞ、と声をかけた。玲莉は橘に引っ張られるように歩いていく。その後姿に向かって、沙は手を振った。
 ふたりの姿が見えなくなると、沙は盛大にため息をついた。どっと疲れが押し寄せてくる。
「どいつもこいつもいい加減にしやがれ!」
 本当に鈍い。鈍すぎる。玲莉も。・・・橘も。お前らなんで気づかないんだ! と説教してやりたい。沙からはどう見ても相思相愛にしか見えない。梢がいなくなったときだって、合流して玲莉が泣きついたのは沙ではなく橘の方だった。普通察するだろ! と沙は橘をどついてやりたい。
 いつだったか梢が玲莉の鈍感さに呆れていたのを思い出す。橘の方もひどいと言い返してやったらよかったかもしれない。
 沙は空を仰いだ。太陽は雲に隠されている。おかげで暑さが和らいでいて、少しは過ごしやすい気がした。
「あれ。先客」
 驚いたような声がした。沙が視線を下ろすと、屋上のドアからひとりの男子生徒が姿を現した。片手に購買の袋を下げている彼は、親しげに声をかけてきた。
「あんたもサボりか?」
「・・・まあ、そんなトコ」
「そっか。初のサボり同志だ」
 彼はにこにこと人好きのする笑顔を浮かべた。初めて見る顔だなと思っていると、また向こうの方から声をかけてくる。
「俺、三年の坂口紫央」
「二年の苑田沙ッス」
 上級生だったのか。道理で見覚えがない訳だ。足元を見てみれば上履きの色も違った。
「よくサボってんスか?」
 そう沙が尋ねると、紫央は時々、と答えた。紫央は袋の中からあんぱんを取り出しながら、沙の隣に座った。びっ、とあんぱんの袋が破られる。
「今日は暑いしダルいからサボり」
「はあ」
 自分が玲莉にした言い訳と殆んど同じことを言った紫央に、沙は思わず苦笑していた。
「苑田も?」
「まぁそんなトコ」
 紫央はあっという間にあんぱんを平らげた。袋の中からは続いてサンドイッチが出て来る。
「食べるか?」
「や、オレもう食ったんで」
「そっか」
 紫央はサンドイッチをかじり始めた。それにしても、自分は何だって初対面の人間とまったり過ごしているのだろう。ナチュラルにどうでもいい話してるし。
「そういえばさ」
 紫央がパンくずのついた親指を舐めた。
「二年の子が消えたって、マジ?」
 梢の件については公にされていないのだが、やはり噂が立っているらしい。
 沙は紫央の表情を窺う。世間話をするような軽い口調だった割には、真剣な表情を浮かべている。
「気になるんスか?」
「そりゃ、まあ。気になるだろ、普通」
 紫央がふたつめのサンドイッチを嚥下する。
「で、どうなんだ?」
「・・・本当っスよ」
「・・・そっか」
 紫央は何やら考え込むようなそぶりを見せた。その瞳には真剣そうな光がある。この人は、何なのだろう。自分と関わりのない物事に対して、こんなに真剣になれるものだろうか。
「気になることでも?」
「んー・・・何で消えた、なのかと思って」
「?」
 言わんとすることがよくわからない。沙の表情でそれがわかったのか、紫央は更に言葉を続ける。
「今年の初めにもあったろ。一年の子が消えた、ってやつ。どいつもこいつもそればっか言ってるけどよ、自然にパッと人が消える訳ねえだろ?」
 消えた、という表現に違和感を感じているらしい口ぶりだった。
「誰かに誘拐されたとか、自分からいなくなったとか。色々あるだろ」
 しかし、実際に梢は跡形もなく消えた。そう言いかけて沙は口をつぐんだ。沙は代わりに違う言葉を紡ぎ出す。
「随分とこだわるんスね」
「・・・まあ、な」
 紫央が自嘲気味な笑みを口の端に乗せる。沙は思わず紫央の顔を凝視した。紫央はそれに気づき、誤魔化すようににっこりと笑った。
「ま、俺はそう思うってだけの話だ」
 紫央はそう言ってごろりと寝転んだ。
「苑田」
「はい」
「俺、寝るから」
「・・・はあ」
 紫央は適当に起こして、と言うと目を閉じた。随分とマイペースな人だ。
 起こして、と言うことは沙が何も言わずにいなくならないと信じている証拠で、それを裏切るのは悪いような気がした。と言っても特にすることがある訳でもないので、沙は紫央に倣って寝転んだ。
 たまには、こういうのも悪くないかもしれない。

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2008/07/23