中野市に来たのは、実は初めてのことだった。単純に縁がなかっただけだ。
電車内では終始無言だった。光は居心地の悪さを感じていたが、安易に口を開ける状況でもなかった。
電車がホームに停車し、奈輝が席を立った。光たちは黙ってその後に続く。そうやって奈輝のやや後ろを早足で歩いた。やはり無言のまま。駅を出ると奈輝は駆け出した。それでも幾分ペースは抑えてくれているようで、光の足でも何とかついていくことはできた。
光は沈黙が苦手だった。深刻な雰囲気はもっと苦手だった。しかし軽口を叩けるはずもなく。
辛い。この沈黙が。
不意に奈輝が立ち止まった。どこにでもありそうな、閑静な住宅地。小ぢんまりとした二階建ての、黒い家の前だ。表札には『東』とある。どうやら、この家らしい。
「・・・ここだ」
家の中からは物音ひとつしない。不安を振り払うように、奈輝が首を振った。
彼の弟が無事であればいい。そうすれば、逃げることくらいはできるかもしれない。
奈輝は玄関のドアに手をかけた。すんなりと開く。
「ただいま。・・・御伽、いるか」
奈輝の声が家の中を反響する。返事はない。奈輝は靴を脱ぎ捨て、家の中へ駆け込んでいく。光は玲莉と顔を見合わせ、ひとつ頷いた。玲莉も頷き返してくれる。
光たちが靴を脱いだところで、奈輝が一階の奥から戻ってきた。奈輝はそのまま二階へ駆け上がる。
「お、お邪魔しまーす!」
光は思い出したようにそう叫んでみる。やはり返答はない。光は玲莉を先に行かせ、自分も続いた。
奈輝は廊下の突き当たりにあるドアを開け放った。玲莉がぶつかりそうになり、バランスを崩しかけたところを光が支える。びく、と奈輝の方が震えたのが見えた。
「間・・・お前・・・・・・」
〜NightMare Crisis〜
06
「久しぶりだね。元気だった?」
少年の声は、どこか寂しげな響きを持っていた。どこか昏い眼をした少年、彼が間覚志なのだろう。柔らかい印象を与えるであろう顔立ちをしているというのに、その瞳がそれを打ち消している。
その腕の中では、一人の少年がぐったりとしていた。気を失っているようで、両の眼は閉じられている。その顔立ちは奈輝によく似ていた。彼が。
「お前・・・御伽をどこへ連れて行くつもりだ」
奈輝は覚志をまっすぐに見据えている。覚志もまたその視線をまっすぐに受け止めている。
「君も・・・戻れなくなるよ」
「それがどうした。こいつや零悟がかかっているんだ」
奈輝が激情を堪えるように固く拳を握った。
「俺は引けない」
その言葉を聞いて、覚志が眼を伏せる。光はふと玲莉の様子を窺った。玲莉もまた拳をぐっと握り締めている。もしかしたら紗夜夏や梢の事件とも関わっているかもしれないのだ。
「・・・『十八の欠片を探し、奪え』」
覚志はそう抑揚のない声で告げた。そして顔を上げ、奈輝をじっと見つめる。どこか悲しげな表情をたたえていた。
十八の、欠片?
「何を・・・」
「僕に言えるのは・・・君の手助けにできるのは、これだけ」
覚志は笑った。悲しげな笑顔だった。彼は奈輝の弟を抱えたまま、こちらに背を向けようとする。
「・・・っ、行かせるか!」
奈輝が覚志に向かって突進する。飛び掛ろうとした刹那、覚志の体を囲むように何かが噴き出した。奈輝は吹き飛ばされ、壁に激突する。
「っあ・・・!」
奈輝が壁をずり落ちるように崩れ落ちた。激しくむせ返る。玲莉が駆け寄る。
覚志の周りには、黒い布のようなものが幾筋も漂っていた。覚志の顔に表情はない。昏い色の瞳がこちらを冷たく見据えている。
「東、大丈夫か!? 東!」
玲莉の叫び声が聞こえる。光は動けなかった。光の目は覚志を守るように漂う黒い布に釘付けられていた。指先が冷たくなっていく。足に力が入らない。ドアの縁に掴まって立っているのがやっとだ。
怖い。
アレが怖い。
「っ、返せ・・・!」
奈輝がよろよろと立ち上がる。再び向かっていこうとする奈輝の姿を、覚志はただ見つめていた。黒い布が静かにうねる。
「っ、ダメ! 東君!」
光は叫んだが、間に合わない。黒い布は鋭い鞭のように奈輝を撃った。光はびくりと体を縮こまらせる。
奈輝の体が再び壁に叩きつけられる。赤い飛沫が散った。玲莉が奈輝をかばうように立ちふさがる。
「・・・は、ざま・・・!」
「・・・・・・ごめんね、東君」
黒い布を漂わせたまま、覚志がそう告げた。こちらに背を向ける。
「・・・っ」
奈輝がその背に向かって手を伸ばす。届くべくもない。
「・・・僕はこの場所よりも、君たちよりも・・・」
覚志の姿がふっと消えた。文字通り、消えてしまったのだ。彼の言葉の最後は聞き取れなかった。
かくん、と光の膝から力が抜ける。どさりと床にへたり込んでしまった。
「鮎川・・・!」
「だ、大丈夫・・・。腰が抜けただけ。・・・へいき」
光はそう言って自分自身を抱きしめる。まだ微かに震えているのがわかった。あの黒い布のようなモノ。あれは、良くない。何故だか光にはそれが死神の鎌にも似たものに感じられた。
「東君は? 怪我・・・」
「・・・こんなものは、平気だ」
奈輝の声に覇気はない。目の前で連れ去られたのだ。光でさえ動揺しているのだ。奈輝が平静でいられる筈はなかった。玲莉が辛そうに眉をひそめた。
「東君・・・」
光の声に、奈輝は皮肉そうな薄い笑みを返してきた。しかし彼はすぐに俯いてしまった。
「・・・なあ、鮎川」
「阿八女?」
「梢のときも、こうだった」
玲莉の言葉に、光は目を丸くした。玲莉は眉をひそめたまま、言葉を続ける。
「梢が消えたときも、さっきのあいつみたいに」
「・・・・・・」
奈輝が玲莉を見上げる。光はこめかみを指でぐっと押した。頭痛にも似た痛みを感じる。
「全部・・・繋がってるっつうワケ?」
光はぞくりと背中が粟立つのを感じた。
←
×
→
2008/07/23