「会うのは初めてよね。あたしは夏越高二年の鮎川光。よろしくね」
 どこか自信に満ちた声だ。奈輝にはそう感じられた。
 鮎川光は、自信家という言葉が似合いそうな顔つきをしていた。くせの強い髪はぴょこぴょこと様々な方向に跳ねている。オリーブグリーンのフレームの眼鏡はどちらかといえば男性が好みそうなデザインで、その奥には生気に満ちた切れ長の瞳がある。
「この子は阿八女玲莉。あたしと同じく、夏越高の二年」
「・・・よろしく」
 クールな顔立ちの少女がそう言って軽く頭を下げた。印象的なのはストレートの黒髪で、前髪は瞳と眉の中間でざっくりと切りそろえられている。意志の強そうな瞳には、何故だか懐かしさを感じた。
 奈輝と玲莉は、確かに初対面だ。奈輝は過去に玲莉らしき少女に会ったことはないし、彼女の名も聞き覚えはない。だというのに、この懐かしさは何なのだろう。不可解だった。
「・・・経西高二年の東奈輝だ」
 奈輝はそう言って軽く頭を下げた。玲莉もつられて頭を下げている。光はというと何やら鞄の中をごそごそと探っている。
「それじゃあ早速。本題に入らせてもらうわね。・・・あ、良かったらつまんで」
 光が取り出したのは一冊のノートだった。光はノートを広げ、ペンケースからボールペンを取り出す。メモを取るつもりなのだろう。光は半分ほどピースのなくなったピザを指差しながら言った。
「まず、間覚志・・・君の、失踪前の様子を聞かせてもらってもいい? あたし又聞きだから、一応東君からも聞いてみたくて。・・・ああ、失踪した日とか、時間とかは知ってるわ」
「ああ、わかった」
 最後に会ったときの覚志の様子を、できるだけ整理して説明する。
 光は合間に相槌を打ちながら、玲莉は身じろぎもせずに奈輝の話に耳を傾けている。随分と話しやすい気がしたのは、いつも話の腰を折る圭太や御伽がいない所為だろう。
 覚志との最後の会話について話し終えると、光は何やら難しい顔をして考え込んでしまった。
「んー・・・『戻れなくなる』ってコトは、間君は戻らないって覚悟をしていたってワケよね」
「・・・うん」
「そんな覚悟決めていかなくちゃいけないような場所、見当つく?」
「・・・ないな」
 尤もな意見だとは、奈輝も思った。しかし実際、覚志はそれっきり消息を絶っているのだ。
「んー・・・ちょっとわからないなあ。調べてはみるけど、当てにはしないでおいて」
 手元の走り書きに目を落としながら光が言う。
「阿八女、こっちの話ヨロシク」
「・・・鮎川」
「あたし書記しとくから、ね? お願い」
「・・・」
 光はノートに向き直ってしまった。玲莉がじとりと光を眺めやったが、ひとつため息をついてから話し始めた。
「そちらと同じ日に、うちの後輩の行方がわからなくなったんだ。聞き覚えは?」
「残念ながら、ない」
 夏越市で起きたという事件のことを、奈輝はよく知らない。玲莉はひとつ頷いてから、語り始めた。その姿にさえ既視感を覚えるのは何故だろう。
 玲莉の口から夏越高一年の少女、甲野沙夜夏が最後に目撃された時の様子が語られる。覚志が行方をくらませた件とは異なり、彼女が姿を消したのが自分の意思であったかどうかははっきりしていない。
「ふたりとも、四月七日の失踪者二名の情報は大丈夫ね?」
 光がノートに綴られた文字を指先でなぞりながら言った。奈輝ははっきりと頷く。玲莉も同様だ。
「東君、実はこの間また失踪事件が起きてるのよ。・・・聞いてもらえるかな」
 光がボールペンの先でこめかみをぐりぐりと押しながら言った。玲莉が少しだけ俯く。奈輝は自分の顔から血の気が引いていく音を聞いた気がした。
 光はどこからそのことを知ったのだろう。自信を持てるだけの能力があるということか。
「・・・零悟の」
 そう口火を切ると、光は怪訝そうに奈輝を見つめてきた。奈輝は構わず言葉を続ける。
「笠原零悟の、ことか」
 今度は光の顔色ががらりと変わった。光はしばらく奈輝の顔を凝視していたが、やがて肩をがくりと落としてシートの背もたれに寄りかかった。何か、おかしなことを言っただろうか。今度は奈輝が怪訝な表情を浮かべる番だった。



〜NightMare Crisis〜
05

- side D -



「・・・冗談キツいわよ、もう」
 光は眼鏡を外し、目頭を押さえた。どこか不機嫌そうに見える。
「あのね。あたしたちが話そうとしてた事件は夏越市で起こってるのよ」
「・・・別件、なのか」
「・・・ええ。そっちの話も聞かせてもらわなくちゃいけないけど・・・まずはこっちの話を聞いてもらっていいかしら」
 光はそう言ってから眼鏡をかけ直した。奈輝は何も言わずに頷いた。光が玲莉を見やる。玲莉はふう、と息を吐き出してから話し始めた。あくまで光は書記で通すらしい。
「失踪と言うよりは消失と言った方がいいかもしれないんだ。消えたのは神川梢。・・・私たちと同じ、夏越高の二年だ。消えたのは・・・七月九日の午前十時過ぎくらい」
 零悟が失踪する数日前だ。
「場所は夏越市立武道館の、弓道場」
「随分と細かいんだな」
 時間や場所など、やけに詳細だ。消えた、という言葉と何か関係があるのだろうか。
 玲莉は口をつぐみ、何かに耐えるように目をつむってしまった。光がどこか不機嫌そうに口を挟んだ
「あたしには信じ難いことなんだけど。・・・神川は衆人環視の中で突然消えたらしいのよ。手品みたいにね」
 信じられないけど、目撃者がいるなら信じるしかないと光は言った。己が信じられないことが起きた、という事実が彼女を不愉快にさせているようだった。
「・・・その場に私もいたんだ。一瞬で跡形もなく、・・・消えてしまって。あいつの弓だけ残って・・・」
「・・・・・・」
「その日は大会だったから。私以外にもその場にいた全員が消える瞬間を見てる」
 奈輝にとっても信じ難い出来事には変わりないが、本当のことなのだろう。そもそもそんな嘘をつく必要などどこにもないのだから。神隠し、という言葉がふさわしいように思える。
 それにしても、先に話した二件の失踪とはかなり様相が異なっている。それは零悟の行方がわからなくなっている件にも言えることだ。
「状況が特殊すぎてわかんないことばっかなのよね。・・・だからって放っておく気なんかないけど」
 光の目が一瞬冷たく光ったように思えた。強い人間だ、と思う。
「こっちの話はこれで終わりよ。今度はそっちの番」
 奈輝は頷いた。もう一度、頭の中で状況を整理しながら事の顛末を語っていく。
「・・・失踪したのは笠原零悟。中野二中の二年で、俺の家に下宿している。行方がわからなくなったのは七月十三日の夜からだ」
 光は相槌も打たず、奈輝の言葉をノートに書きとめている。玲莉はやはり身じろぎもせずにじっと耳を傾けていた。
「俺には弟がいるんだが、零悟は弟と同じ部活動に入っているんだ。その日の部活動が終わったあと、弟よりも先に学校を出たらしいんだが、帰って来ていない」
 そう、帰ってきていない。あれから一週間ほどが過ぎているが、連絡さえない。
「それから、気になることがあるんだが」
「ええ。何?」
「その日、間から電話がかかってきたらしいんだ。俺の友人のところに」
「間君から、ですって?」
 光が眉をひそめた。ああ、と答え、奈輝は言葉を続ける。
「所々しか聞き取れなかったらしいんだが・・・何でも、『誰かを連れて行く』と言っていたらしい」
 すぐにリダイヤルしても繋がらなかったことも付け加える。光は難しい顔をして口を開いた。
「四月七日の二件は何か関連があるんじゃないかって踏んでるんだけど・・・あとの二件は何とも言えないわよね」
 神川梢に至っては失踪ですらない。そもそも常識的に考えれば起こり得ない事件だ。
「・・・ありがとう、東君。とりあえず、あたしなりに調べてはみる」
「・・・そうか」
「まあ、あたしにできることなんて高が知れてるんだけど。・・・イヤなのよ、諦めるの」
 その言葉に奈輝は頷いた。自分とてそうだ。このまま諦めるつもりなどない。そう答えると、光はにこりと笑った。
「また何かわかったら連絡するわ。携帯の連絡先、教えてもらえると助かるんだけど」
「ああ、構わないが」
 そう言って奈輝は滅多に着信のない携帯電話を取り出した。おや、と目を瞠る。着信を知らせるランプがチカチカと点滅していた。
「すまない。少し待ってくれるか」
 着信はつい五分ほど前で、メールだった。誰からのものなのかわからない。メールアドレスも適当なアルファベットの羅列でしかない。件名は、『ごめんなさい』。
 いやな予感がした。奈輝は眉間に皺を寄せたままメールを開いた。
「・・・畜生」
 顔色が変わるのが自分でもわかった。玲莉が不安そうに声をかけてくる。
「どう、したんだ・・・?」
「見てみるか」
 携帯電話を玲莉に手渡す。奈輝はそのまま帰り支度を始めた。玲莉が表情を凍らせ、奈輝を凝視している。光が眉をひそめながら玲莉の手元を覗き込んだ。
 早く、早く戻らなければ。


東くん、元気にしていますか。僕はそれなりにやっているよ。
僕は君を巻き込みたくなんてなかったけれど、どうしようもないことなんだ。

これから君の弟さんを迎えに行きます。
本当に、ごめん。謝って済むことではないってわかっているけれど、僕にはそれしかできないから。
どうか、元気で。

間覚志  


「そんなことは絶対にさせない」
 奈輝は席を立った。今から戻って間に合うかどうかはわからない。わからないが手を拱いているのは絶対にごめんだ。そのまま足早に出て行こうとする奈輝の腕を、光が掴んだ。振り払って出て行こうとする奈輝に、光が鋭い声で言った。
「連れてって」
 役には立たないかもしれないけど、黙ってみているのはイヤ。光はそう言った。その眼差しは真剣そのもので、射殺されそうだと奈輝は思った。
 ふと玲莉に視線を向ける。玲莉は何も言わず、険しい顔のまま頷いて見せた。
 その立ち居振る舞いをやはり懐かしく感じるのは、何故だろう。
「・・・構わない。一緒に、来てくれ」
 光がにっと笑って、頷いた。光が伝票を取り上げて、レジの方へ駆けて行く。
 奈輝と玲莉はそのままファミレスの出口へと足早に向かう。


 どうか、間に合ってくれ。


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2008/07/21