〜NightMare Crisis〜
02



 甲野紗夜夏が行方をくらましてから、いつの間にか三ヶ月が過ぎ去っていた。ふとした瞬間に彼女のことを思い出す。日常に埋もれて紗夜夏を忘れ去ろうとするのを拒むかのように。
 時々、夢を見る。
 何処とも知れぬ闇の中、ただ浮かんでいるだけの夢だ。どこからともなく響くのは誰かの叫び声。時折そこに紗夜夏の声が混じっている気がするのだが、確かめようにも他の叫びが邪魔をする。悲鳴は止むことを知らず、じりじりとこちらに迫ってくる。そして。
 突然、背後から首を締め上げられるのだ。
 いつもそこで目が覚める。その夢を見た朝はいつも首に手形が残っていて、ぞっとする。
 玲莉は今日もその夢を見た。徐々に慣れ始めていることが玲莉自身、気持ちが悪い。
「玲莉ー! もう藤川くんたち来てるわよー!」
「あ、はーい!」
 母親の声にはっとする。今日は玲莉たちが所属している弓道部の大会があるのだ。現地集合なので、何となくいつもつるんでいるメンバーで一緒に行くことに決まっていた。
 玲莉は制服に袖を通すと、鏡を覗き込んだ。首についた痣はまだ薄く残っている。玲莉はため息をついた。時間が経って消えるのを待つしかない。
 支度を整えて玄関に向かう。梢と沙が何やら盛り上がっていて、橘はそんな二人を眺めていた。
「悪い、待たせた」
「遅いよ〜! ギリギリじゃん!」
 そう言って梢が笑った。いつも緊張感に欠ける彼女は、やっぱり緊張感の欠片もない口調でそう言った。
「梢が言うとそうでもないみたいに聞こえるよなぁ」
「え〜、そうかな?」
「無駄口叩いてないで行くぞ。マジで遅れる」
 ドアを開けながら橘が言った。確かに急がないと相当まずい時間だ。
「行ってきます!」
「はーい。頑張ってらっしゃい」
 母親の声を背に玄関を飛び出した。
 朝の空気が心地良い。薄い雲がまばらに浮かぶ空は、いつになく澄んで見えた。久しぶりに覗いた青空だ。玲莉は何とはなしに嬉しくなる。
 「お・・・オレもうダメ・・・・・・かも・・・」
 走り出していくらもしないうちに沙がばて始めた。
「このサボり魔〜! 蚊トンボ〜! ダメ人間!」
「こ・・・梢・・・・・・シメる」
 からかう梢を沙がヨロヨロしながら追いかけている。大会が始まる前に体力を使い果たすんじゃないだろうか。
 玲莉は隣を走る橘の様子を伺った。まだまだ余裕そうだ。
「なあ、橘」
「ん?」
「あいつら・・・これから試合だってこと忘れてないよな・・・?」
「・・・どうだかな」
 橘が遠くを見つめるような目つきをする。玲莉は思わず吹き出してしまった。
「何だよ」
「別に。何でもないよ」
 橘が憮然とする。ますます笑いがこみ上げてきた。
「おい、玲莉・・・」
 玲莉は笑いながら並木道を駆け抜けた。熱を帯びた頬を風が撫ぜていく。心地良い。このペースで行けば間に合いそうだ。


 集合時間ギリギリではあったが、何とか無事に武道館に到着することが出来た。他校の選手たちの姿もあちこちに見える。
「ちゃあんと間に合ったね。よかったよかった」
「そ・・・そうだな・・・。ギリギリだけど」
「・・・ごめん」
 まだ呼吸の治まらない沙に言われ、玲莉は思わず謝った。沙が大丈夫だ、と言うように首を振る。なぜだか橘は苦い顔をしていた。
「・・・橘?」
「・・・何だ?」
 橘は不思議そうに玲利を見つめた。気のせいだったのかもしれない。何でもないと言うと、橘は怪訝そうにそうか、と答えた。
「玲莉ー! 早く早くー! 置いてっちゃうよぉー!」
「ああ、今行くー!」
 梢はだいぶ向こうに行ってしまっていた。はやくー! と叫びながら、大きく手を振っている。早く行かなければ本当に置いて行かれそうだ。
「俺はあっち。また後でな」
 橘が梢の向かった方向とは反対を指差しながら言った。その少し先から沙が片手を挙げてみせる。
「ああ、頑張って」
「ああ。・・・その・・・玲莉」
 橘が珍しく言いよどんだ。玲莉は首を傾げながら橘を見上げる。
「何だ?」
「・・・いや、何でもない。頑張れよ、お前も」
 橘はそう言うと、さっさと沙のいる方へ走っていってしまった。大会の所為で緊張しているのだろう。玲莉も梢の元へと急いだ。
 梢の元へ行くと、彼女は頬を膨らませていた。長く待たせた所為で怒っているらしい。
「ごめん、梢。待たせてしまった」
「・・・別にそれはいいんだけどぉ・・・」
「・・・? どうしたんだ?」
 一体どうしたのだろう。他に梢の気分を害するようなことをした覚えはないのだが・・・。
「玲莉のドンカン」
「何だよいきなり」
 梢は橘たちの向かった方に哀れみの視線を向けている。が、玲莉はそれに気づく様子もない。梢は気分を切り替えるように口を開いた。
「なんでもなーい。玲莉、早く早くー!」
 何のことやらさっぱり分からない。玲莉は首を傾げながら梢に引っ張られていった。


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2008/07/05